日本神話(古事記中巻)
中巻
1.神武東征
2.神武天皇(初代)から綏靖(スイゼイ)天皇(第2代)へ
3.崇神(スジン)天皇(第10代)
4.垂仁(スイニン)天皇(第11代)
5.本牟智和気御子
6.景行天皇(第12代)と倭建命
(ヤマトタケルノミコト)
7.弟橘比売命(オトタチバナヒメ)
8.倭建命(ヤマトタケルノミコト)の崩御
9.仲哀天皇(第14代)·神功皇后・応神天皇(第15代)
10.天之日矛・秋山の神と春山の神・応神天皇の子孫
ーーーーーー
中巻は、神話ではなく、人間の話がメインになります。
また、遠征や冒険などの話が多いです。
ーーーーーーーーーーーー
中巻
ーーーーーーーーーーーー
『古事記』上巻は、山幸彦の子供のウガヤフキアエズとタマヨリヒメとの間に四柱の男子が誕生した。と言う事で終わりました。
ーー中巻ーー
【神武東征】
長男イツセ(五瀬)と四男カムヤマトイワレビコ(神倭伊波礼毘古)すなわち神武天皇とが、天下(葦原中国)を治めるため良き場所を求めて東へ行こうと相談します。
一行は、日向の高千穂宮(宮崎)を出発し、宇佐(大分)、筑紫(福岡)、安芸(広島)、次に吉備国(岡山)と移り、吉備国では高島宮を作った。そして、河内の国(大阪)を経て大和(ヤマト)へ入ろうとしますが、在地豪族が軍勢を率いて攻めてきました。この戦いで、兄イツセは矢に射られて負傷してしまう。その時、兄は、「日の神なのに、日に向かって戦うのは良くなかった。これからは迂回をして日を背に負って戦おう」と言った。
しかしその後、兄イツセは紀伊国において戦死してしまいます。
イワレビコ一行は紀伊半島を南下して熊野から大和へ入ろうとする。熊野に入った時、突然大きな熊が現れて、一行は悪しき神の息吹に当って意識を失い、倒れ込んでしまいました。全滅かと思われたところ、熊野のタカクラジ(高倉下)が、太刀を持って現れて、その太刀を使って悪しき神の息吹をなぎはらい、一行を救出します。意識を取り戻したイワレビコは、「どのようにその太刀を手に入れたのか?」とタカクラジ(高倉下)にお尋ねになりました。
すると、タカクラジは、夢でアマテラス(天照大御神)とタカミムスビ(高御産巣日)に、出雲の国譲りの際に持って行った太刀で助けるように言われたと説明しました。
その後、八咫烏(やたがらす)の先導を受けたり、国つ神の服従を受けたりしながら、刃向かう者を征討し、苦労しながらもヤマトの白檮原宮(かしはらのみや)で神武天皇として即位した。
ーーーーーーーーーーーー
【神武天皇(初代)から
  綏靖(すいぜい)天皇(第2代)へ】
神武天皇死後、異母兄弟の兄であるタギシミミ(多芸志美々)が、神武皇后イスケヨリヒメを妻とし、神武天皇と皇后との間に生まれた三人の皇子を殺して自分が天皇になろうとします。子供たちに危険が迫っていることをなんとかして知らせたいと思ったイスケヨリヒメは、タギシミミに気づかれないよう、歌を歌って子供たちに伝えた。子供たちは協力して先手を打ち、タギシミミを追い詰め、弟のカムヌナカワミミが就寝中のタギシミミを討射殺した。その武勇が認められて、弟のカムヌナカワミミが綏靖天皇として皇位についた。
ーーーーーーーーーーーー
【崇神天皇(第10代)】
やがて、時が過ぎ、崇神天皇(すじんてんのう)の時代、人口の約半分もの人が死んだとされるが疫病が流行していた。この疫病に対して、崇神天皇はどうすれば乗り越えられるのかと苦闘していた。
ある夜、夢に大物主神(オオモノヌシノカミ)という神様が現れて、「この疫病は私の祟り(たたり)である。大田田根子(オオタタネコ)を連れてきて、私を祀らせれば祟りは止み、国も安らかになるであろう」というものであった。
崇神天皇は、オオタタネコを探させたところ、オオタタネコはオオモノヌシの子孫であることが分かったので、この人を神主としてオオモノヌシを祭り、大和の神々をことごとく祀ったところ、神の祟は治まり、国は安らかになり、人民が栄えたという。
天皇はその後、「四道(しどう)将軍」と呼ぶ将軍たちを、北陸道、東海道、山陽道、山陰道の4か所に派遣し反乱を鎮圧し領地を広げました。
崇神天皇は、ヤマト王権(大和朝廷とも)の基礎を整えたのです。
ーーーーーーーーーーーー
【垂仁天皇(第11代)】
崇神天皇の子である垂仁天皇(すいにんてんのう)が即位した。
《サホビメとサホビコ》
垂仁天皇の皇后サホビメは、ある時、兄サホビコから「天皇と兄とどちらが好きか」と聞かれる。サホビメが「兄が好きかもしれない」と答える。
サホビコが「愛しているなら、天皇を殺して、一緒に天下を治めよう」と小刀を渡される。
サホビメは垂仁天皇が眠っている間に小刀で殺そうとするが、殺せず、涙を流す。
目をさました垂仁天皇に、サホビメは、夢を見ていて、自分がみた不思議な夢について語り、夢解きをする形で、自分と兄サホビコとの計略を打ち明けた。
話を聞いた天皇は軍勢を集めサホビコを討とうとする。サホビコは稲城を作り、立てこもる。サホビメも宮を抜け出して、稲城に逃げ込んだ。
天皇はサホビメを愛する思いで諦めきれませんでしたが、とうとうやむを得ずサホビコを滅ぼした。その妹であるサホビメも兄に従って命を落としました。
ーーーーーーーーーーーー
【本牟智和気御子(ホムチワケ)】
垂仁天皇(すいにん)と皇后サホビメとの子ホムチワケは、大人になっても、口を利くことができなかった。
ある日、天皇が寝ていたところ、夢に現れた神が「私の宮を天皇の御殿のように修造してもらえば、御子は話すことができるようになる」と。それで占いをして神の正体を確かめたところ、これは出雲大神の祟(たたり)であるということがわかった。
天皇はホムチワケに家臣を添えて出雲に出向かせ、神を拝んだところ、ホムチワケは呪文のような言葉を唱え 、口がきけるようになった。
ホムチワケは出雲大神を拝んだ後、肥長比売(ヒナガヒメ)という女性と一宿婚(ひとよこん)をした。だが、その女性の様子をこっそりと覗いてみると、蛇であった。ホムチワケは恐れをなして逃げたところ、ヒナガヒメは海を照らして追いかけてきた。ホムチワケは怖くなってヤマトへ逃げ帰った。
ーーーーーーーーーーーー
【景行天皇(第12代)と倭建命(ヤマトタケルノミコト)】
垂仁天皇の死後、即位した景行天皇(けいこうてんのう)にはたくさんの皇子・皇女がいたがその中に大碓命(オオウスノミコト)・倭建命(ヤマトタケルノミコト)という兄弟がいた。
ヤマトタケルが、まだ少年だった時、兄を、いとも簡単に惨殺してしまいます。ですから、親でも震え上がります。
景行天皇は、自ら、九州の熊曽(くまそ)平定のために、ヤマトタケルと共に討伐に行きます。
熊曽の荒くれ者を、ヤマトタケルは、女装してその宴の中に紛れ込み、征伐します。
ヤマトへ帰る途中、出雲の荒くれ者も征伐しようと考えます。
ヤマトタケルは、「太刀合わせをしよう」と言い、木刀で作った偽の太刀を渡して、だまして殺してしまいます。
ヤマトに戻ったヤマトタケルは、景行天皇からすぐに東国へ遠征に行くように命じられます。
その命令を受けて、すぐに東国へと向かいますが、途中で伊勢の神宮に立ち寄り、叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)に会いに行きます。
ヤマトヒメは、「困ったことがあれば、この袋を開けなさい」と言って、袋と草薙剣を授けました。
その後、ヤマトタケルが相武国(サガム:静岡)に到着した時、その国の有力者が野原に火を放ったのです。
窮地に陥ったヤマトタケルは、叔母から授かった袋の中の火打石で火を起こし向かい火を放ち、また、草薙剣で周りの草を薙ぎ払い、その焼け野原から脱出することに成功します。そして、だました有力者を斬りつけ、火をつけて焼き殺しました。
ーーーーーーーーーーーー
【弟橘比売命(オトタチバナヒメ)】
さらに東へ進み、走水の海(東京湾)を渡るために船に乗り込んだヤマトタケルであるが、渡りの神の妨害のせいで、暴風にあって激しく波立つ海を渡ることができずにいた。その時、船に同乗していたヤマトタケルの妻、弟橘比売(オトタチバナヒメ)が、「私が御子の代わりに海の中に入りましょう。御子は任務をなし遂げてください」と言って海に身を投じた。すると荒波は止み、船は進むことができるようになった。
ーーーーーーーーーーーー
【倭建命の崩御】
東征を終えて、尾張まで戻ってきたヤマトタケルは、尾張国の美夜受比売(ミヤズヒメ)と結婚する。そうしてヤマトタケルは、ミヤズヒメのもとに草薙剣を置き、伊吹山の神を素手で討ち取るのだと言って出かける。
ヤマトタケルは伊吹山で「神の使い」だと思った白いイノシシに出逢う。実はこのイノシシが伊吹山の神自身でした。
そして、その伊吹山の神がヤマトタケルの言動に怒り、ヒョウを降らせて、たたりを起こしたのです。神の怒りによってヤマトタケルは弱っていき、最後に尾張を思う歌、故郷ヤマトを思う歌、最期には草薙剣を歌に詠んで、ついに息を引き取りました。
亡くなった後には、ヤマトタケルは八尋白千鳥(やひろしろちどり)となって飛び立ってしまう。
ーーーーーーーーーーーー
【仲哀天皇(第14代)・神功皇后・応神天皇(第15代)】
仲哀(ちゅうあい)天皇は熊曽(くまそ)を討伐しようとしていた。その際に天皇は琴を弾き、神託を乞い求ると、オキナガタラシヒメが神がかりになられた。
それは「西の方に金銀や宝物がある国(朝鮮の新羅)がある。その国をあげようか」というものであった。
ところが、天皇は高地に立って西方を見たが、「そんな国は見えない、嘘つきな神だ」と言って、琴を弾くのを止め、黙っていた。すると神は怒り、「この国はお前の治めるべき国ではない。お前は一道に向かうがよい」と告げた。
嘘つきな神と思い、琴を退け、琴を弾かなくなった。神は怒り、「この国はオマエが治めるべき国ではない!オマエは死んでしまえ」と言われた。天皇は適当に琴を弾き始めたが、間もなく琴の音が聞こえなくなった。
不審に思って、火を灯してみると、天皇はすでに呪い殺されていた。
それから、また神に神託を乞うと「全てこの国は、皇后様のお腹におられる御子が治めるべきである」
というものであった。
この後は妻である神功皇后が応神天皇を懐妊したままで、神託の通りに「三韓出征・新羅討伐」へと向かう。舟を並べて海を渡ると、魚は舟を背負って進み、追い風が舟を進め、新羅の国までたどり着きました。新羅の国王は恐れおののき、降伏してしまいます。
ヤマトに帰った神功皇后は、皇子を出産する。皇后の没後,皇子は応神天皇となる。
ーーーーーーーーーーーー
【天之日矛・秋山の神と春山の神・応神天皇の子孫】
昔、新羅の国で昼寝をしていた女が、太陽の光によって懐妊し赤い玉を産み落とした。ある時、新羅の国王の子であるアメノヒホコ(天之日矛)がその赤玉を手に入れる。するとその玉は美しい乙女になったのでアメノヒホコは妻とした。
しばらくした後、仲違いをし、妻は自分の祖国に帰るのだといって、ヤマトの難波(なにわ)に逃げた。後を追ってきたアメノヒホコであったが、難波の渡りの神に妨害されて上陸できず、日本海に戻って但馬(たじま):兵庫県北部に留まり、土地の女性と結婚して子孫を産んだ。
ーー《秋山の神と春山の神》ーーー
            番外篇の神話(寓話)
兄の秋山の神は、誰もがいとめることのできなかったイヅシの乙女を、弟の春山の神とどちらがいとめるか争い賭けをした。結局は春山の神と母親の協力により、イヅシとは結ばれなかった。しかし秋山の神が約束をやぶって賭けを反故にしようとし、母親は人間の模範となるべき神が約束を反故にしたことに怒り、秋山の神に呪いをかけた。秋山の神は長く苦しんだ末に弟に謝り賭けの報酬を支払った。
下巻へと続きますーーーーーー
inserted by FC2 system